人生100年時代に読み直した「銀河鉄道999」 「限りある命」の美しさ

世界で稚内が一番大好きな大学教員、アーサーこと浅川晃広です! 稚内で移住希望者向けのシェアハウス「キックスタート!」を経営しています。

 

「銀河鉄道999」については、説明が不要かと思いますが、原作の漫画は1977年から1981年にかけて「週刊少年キング」に掲載されていたものです。それが後にテレビのアニメ化され、映画化されました。その後、リメイク版が出たようですが、一瞬だけ見てあまりにも原版と違うようなので、私の中では完全スルーです。

 

なお、私が小学生のころ、夕刻に放送されていたのを、ごくわずかながら覚えています。その時はビデオもなく、「アニメを生放送で見る」という時代だったのです!

 

この原作漫画自体、愛蔵版や文庫版で発行されているのですが、なんせ便利な時代、大元のコミック版も簡単に入手できるのです。銀河鉄道999は大好きなので、私はヒットコミックス版の計18巻を保有しています!(だから何だ)。

「秋の夜長」とは到底言えない名古屋の猛暑なのですが、なぜかこれが懐かしくなりました。基本的なストーリーとしては、鉄郎が殺されたお母さんの遺言を守り、「機会をタダでくれる星」にいって、お母さんの分まで長生きする、というものです。しかし、実際の旅路で、さまざまな機械人間・生身の人間を見ていく中で、「機会の永遠の命が果たして幸せなのか」ということを自問自答した鉄郎。

 

終着駅が近づく直前、機械の体の分厚いカタログを渡され「この中から選べ」とされるも、「機械の体なんてクソくらえ!」と、あれだけ母さんとの約束であったはずの機械の体になることを否定。ついに終着駅到着時には、これまでの長い旅を総括し、鉄郎は以下のように述べました。

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だけどひとつだけはわかったよ

 

限りある命だから

人は一生という時間の中で

精いっぱいがんばる……

短い時間の中で何かをやりとげようとする……

 

そうだからおたがい

思いやりや やさしさがうまれるんだって……

 

父さんや母さんの血が僕の体には流れている……

ぼくの血だって

 

ぼくの未来の子供に受けつがれて

そのまた子供へとずっと続いてゆく……

それも永遠の命だってね!!

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「限りある命だから 人は一生という時間の中で精いっぱいがんばる」というのは本当にその通りだな、と思うのです。

 

「人生100年時代」といわれる今日、通常であれば40歳台半ばの私が死ぬことは考えにくいです。しかしながら、私は持病のために、約10年ほど前、死ぬ寸前までいった経験をしました。その後立ち直ったのですが、「死地から生還した」という経験を経ました。

 

このため、「自分の命がいつ絶えるかわからない」という経験のために、それこそ100歳まで生きられるという可能性など、あってないようなものです。よって「今、意味のあることをしよう」「今、楽しめることをしよう」「今、一緒にいて楽しい人といよう」といったように「今」にフォーカスが行くようになりました。

 

死ぬまでの「短い時間」だからこそ、意味のある時間にしようと思いますし、またその時間を浪費された際には、かなりの怒りを覚えます(はっきりいって都会には、電車然り、信号然り、渋滞然りと、時間を浪費させられることが多すぎます!)。

 

鉄郎も述べているように、「そうだからおたがい思いやりや やさしさがうまれる」とありますが、これは、他の人も「短い時間」しかないのだから、なるべくその時間を無駄にしないようにしよう、どうせ一緒にいるなら楽しくしよう、といったように、他の人の時間、それは命の断片でもあるわけですが、に対する配慮にもつながっていくように思います。

 

「ぼくの未来の子供に受けつがれて」という点ですが、私には子供がいませんし、今後それができる可能性も低いと思います。しかしながら、教育者の一人として、次世代に知識や知恵は伝授していきたいと考えておりまして、それがこのキックスタート!を立ち上げた理由の一つでもあります。

 

都会の中にいると、あたかも人間が自然を征服したかのように思われますが、実はそれも台風などの災害の前では極めて脆弱であることが見せつけられます。きた北海道では、美しい自然があると同時に、特に冬場の猛吹雪、ホワイトアウトなど、人間の力ではどうしようもない状況になり、自然の前での人間の無力さを見せつけられます。

 

吹雪の中、車で出かけようと、車から道路への通路を除雪していたところ、お隣さんから「今日は出ないほうがいい」と言われて、引き込まったということもありました……

 

そうした無力さ=命のはかなさを知ることこそが、「限られた命」の価値を知ることにつながるのではないかと、稚内の大自然に接しながらも考えているところです。「死を知る」からこそ「生を知る」ともいえるかもしれません。

 

この1981年の銀河鉄道999も、物質的な豊かさが明らかに向上する中、それに象徴される「機械化文明」が何かおかしいのではないか、という問題提起でもあったように思います。それがイデオロギー的な環境保護運動ではなく、鉄郎という生身の人間を通じて語られるところに大いに意味があるといえます。