稚内の次に好きなキャンベラ 私とオーストラリアの23年

先月末から今月初めにかけて、豪州出張に行ってきました。経由地としてシドニーに滞在した以外は、首都であるキャンベラに滞在しました。私はキャンベラには合計3年間居住したこともあり、大好きな街なのです。稚内に次いで好きな街とも考えています。

 

私は1996年に初めて豪州に行ってから、それ以降、この国を研究対象にしてきました。今年が2019年なので、23年もウオッチしているのだな~と感慨にふけっています。

 

よく「どうして豪州なのですか?」と聞かれるのですが、あまり深い理由はありません。大学生の時、大学院に入って研究者になる!と決めた際、「どこかの外国の専門家になりたい!」と考えました。

 

「外国の専門家」になるためには、当然ながらその国の言語を習得しなければなりません。私は英語はある程度できていたのですが、他の語学は、第二中国語で中国語を学んだ程度です。となると英語圏でなければなりません。

という中で、大学院修士課程に入学した際、新入生ガイダンスにおいて「オーストラリアへの交換留学制度があります」という説明があり、即座に手を挙げた次第です! その後選考があり、それに合格して、1997年に約1年間、首都キャンベラにあるオーストラリア国立大学に留学しました。

 

1997年は非常に興味深い時期でした。1996年に、13年間続いた労働党政権が選挙で敗北し、ハワード保守連合政権が成立しました。その同じ選挙で、ポーリン・ハンソン議員が当選し、「移民排斥」といわれる主張を展開し、いわゆる人種論争が高まっていた時期でした。

 

確かに私が留学した時期、ニュースで移民問題や先住民問題が取り上げられることが多かったように思います。ただ、私自身が人種差別的な言動を浴びせられたことはありませんでした。

 

なお、現地にいたメリットを生かして、この「ハンソン論争」の経過をまとめた論文を執筆しました。これが私にとっての初の学術論文なのです!

 

首都キャンベラは、もともと単なる山間部でしたが、1901年に連邦政府が創設されたため、新たな連邦議会の所在地=首都として開発されたところです。なお、「シドニーとメルボルンの中間に作った」と言われることがありますが、これは正しくありません。

 

これは憲法第125条では、「連邦議会をシドニーから100マイル以上離れたところに創設する」という趣旨の規定があるからです。キャンベラからシドニーまで約300キロ、メルボルンまでは約650キロとなっており、明らかにシドニー寄りとなっています。

 

なお、何もない山間部を切り開いたため、キャンベラは自然が豊かな街です。英語でBush Capitalとも言われます。Bushとはオーストラリア英語で「森」といった意味、Capitalは「首都」の意味です。あえて訳せば「森の首都」といったところでしょうか。人口増加も進展していますが、シドニーやメルボルンと比べて人口密度も低く、私としても大好きなところです。

特に連邦議会の周辺には、バーレーグリフィン湖という人口湖(水をせき止めたもの)があり、これが天気のいい時には、山の緑が映えて、本当に美しいのです! あと工事中だったトラムもいつの間にか開通しており、町の様子も変わっていっていますね。ただこれまで、公共交通機関はバスしかなかったので、これは本当に便利になりました。

 

またキャンベラの存在そのものともいえる連邦議会ですが、日本大使館の専門調査員をやっていた際には、会期中、毎日のように傍聴に来ていたので、これも懐かしいです。

8月末は冬の終わりの一番いい時期で、オーストラリアの桜ともいうべき、ゴールデンワトルが咲きます。ただ、夏場は本当に暑くなるため、やはり暑さに弱い私には、ちょっと厳しいのです。ということで、やはり「涼しさはいつもファーストクラス」の日本最北端の稚内にたどり着いたのでした!